妊活ジャーニーVol.3【37才♡まるさん】
こんにちは、まいかです。
今回のゲストは、シンガポールで出会ったまるさん!
・転勤族の不妊治療、病院選びはどうした?
・前途多難…PCOS、受精障害、不育症!?
・治療おやすみ期間
・2回の流産を乗り越えて
・意外といた!不妊治療経験者
・友人とはどう関わっていた?
・治療中に夫に言われて嬉しかったこと
・家族に治療のことを伝えた?
・妊娠報告はいつした?
・子どもがいても、いなくても自分は幸せに生きると決めた!
などなどお聞きしました!
(約10分ほどで読めます。)
2014年〜2018年の約4年、日本(富山と大阪)で不妊治療をされた、まるさん。
(治療終了時の年齢は37才・旦那様は37才)
まるさんとの出会いは、ここ、シンガポール!
まるさんは3ヵ月の赤ちゃん連れ、私は妊娠中期の頃でした。
お互い不妊治療で授かったという話をして、一気に意気投合!
今回は、そんなまるさんに、シンガポール初の世界遺産・ボタニックガーデンにてお話をお伺いしてきました!
それでは、まるさんの妊活ジャーニーをみていきましょう!
(以下、筆者▶🐤、まるさん▶M)
《まるさんの治療内容》
* タイミング法:7回
* 顕微授精:5回
5回目の移植にて、第一子を授かり2018年に出産。
🐤はじめに、どのように病院を選びましたか?
M:もともと生理不順があり、結婚当初(専門医に行く2年程前)から婦人科へ行くことはあったんです。
そこでは、不規則ながらも排卵しているかのチェックと、基礎体温をつけることを指導されました。
その後、2014年のはじめから全く生理がこなくなり、そこで最初から不妊治療の専門医に行こうと探しはじめました。
でも、予約がなかなかとれず、実際に来院できたのは8月頃。
当時は、富山県に住んでいたので、不妊専門医は限られていましたね。
その後、体外・顕微受精にステップアップするタイミングで、高度生殖医療の取り扱い事例が多かった体外受精専門のクリニックに転院しました。
2017年には、主人の転勤で、富山から京都に引越すことになったんです。
引越し後は、友人が通っていた大阪のクリニックに行きました。
通いやすい場所だったことと実績もあったので、そちらに決めました。
🐤どんな治療をしましたか?
M:時系列でお話しますね!
【2014年8月〜翌3月】
不妊検査、そして排卵誘発剤を使ったタイミング法に7回トライしました。
でも、その間タイミング法ができたのって、2周期だけなんです。
というのも、PCOS(多嚢胞性卵巣症候群)のため薬の調節がとても難しかったんです。
前周期と同じ薬の量なのに薬が効かず卵が育たなかったり、少しだけ薬を増やすと今度は効きすぎてしまって一気に20個くらい卵が育ってしまったり。
そのたびにリセットさせる注射を打ち、最後の方はすぐに卵巣が腫れてしまったりして…
クロミッドを半年以上使っていて子宮内膜が薄くなっていったりということもあり、なかなかうまくいかなかったんです。
精神的にも参ってしまって、一度治療から離れることにしました。
結果、1年半ほど治療をお休みして、体質改善をしようと”冷え取りや砂糖・小麦抜き”、しまいにはフルーツもやめてみたり。
私の場合、自力でのリセットも難しい状態でホルモン剤を多用したため、とにかくデトックスがしたかったんです。
そうしているうちに、不規則ながらも自力で生理が来るようになったという変化もありました。
【2016年半ば】
PCOSにより排卵誘発剤の調節がとても難しいという経験があったので、人工授精はやらずに体外受精をすることにしました。
1回目の採卵は、薬の影響なのか卵巣にトラブルが出て、採卵が出来ず。
2回目の採卵は、5個とれたものの体外受精で受精しなかったんです。
採卵後に受精の兆候はあったらしいのですが、翌日も育たずレスキューICSI(顕微授精)も間に合わずで。
3回目の採卵は、6,7個とれて全て顕微授精にしました。
一般的には2,3個とれるくらいのマイルドな刺激法での採卵でした。
1回目の移植は、新鮮胚移植で着床はしたけど、胎嚢が見えず。
2回目の移植は、凍結胚移植で胎嚢は見えたけど、心拍確認が出来ず初期流産で手術となりました。
【2017年2月】
大阪の病院に転院。
化学流産も含めてですが、流産が2回続いたので、不育症の検査をしました。
その結果は、全てクリアではなく、1項目だけ気になる数値があったんです。
でも、その場合は、連動して特定の数値も異常値になるはずが、その数値は正常値だったため不育症とは診断はできないというグレーな結果。
それでも大阪の主治医は、念の為、不育症の場合に使われる薬を使用しながら次の移植に望むという方針を立ててくれました。
富山の病院に凍結胚盤胞があったので、内膜調整は大阪の病院へ通い、十分に子宮内膜が厚くなったタイミングで、3回目の移植をしに富山に行きました。
この3回目の移植は、着床しませんでした。
残りの胚盤胞は、グレードがあまり良くなかったので、新たに大阪で採卵をしました。
【2017年9月】
大阪で採卵をして、すべて凍結胚盤胞にしました。
採卵翌月に4回目の移植。
結果は陰性。
5回目の移植は、初めてSEET法を試すことになり、そこで授かることができました!
着床後もしばらく出血があったので、とても不安だったのを覚えています。
実は3回目の移植後に、夫がシンガポールに転勤になり(!)、大阪での採卵後に単身赴任という形で先に渡航してもらいました。
私はその後10ヶ月ほど日本で移植や妊娠期間を過ごし、出産前にシンガポールに渡航しました。
🐤どのくらいの費用がかかりましたか?
M:タイミング法は、7周期で2,3万くらいでした。
富山での体外・顕微受精は、採卵2回100万に移植3回40万くらいかと思います。
大阪での顕微授精は、採卵1回・移植2回で100万くらいかなぁ。
その他にも、漢方は万単位/月、足のリフレクソロジーに8000円/月などかかっていましたね。
🐤様々な妊活を試されたのですね!
M:そうですね、豊かな自然に囲まれた富山に住んでいたので、趣味で畑仕事をしていたんです。
そのときの畑仲間には様々なアドバイスをしてもらいました。
畑に裸足で入るのが良いとか、下着の締付けをなくした方が良いとか本当に様々な話をしました(笑)
その頃、まわりには子連れママがけっこういたので、子どもと接する機会も多かったんです。
夫が子どもたちと遊ぶ姿を見て、ちょっと切なくなったこともあったかな、、、?
🐤うーん、なるほど。子どもと接する機会が多かったとのことですが、辛い時期はなかったですか?
M:そうですね、子どもが理由の集まりではなくて、畑や、他のテーマがあっての集まりだったので、そこでは辛いとは感じていませんでした。
でも、近況をアップデートしにくい距離になってしまっていた学生時代からの友人などは、あまり会いたくないと思ってしまう時期もありましたね。
妊娠している可能性のある友人と久しぶりに会うときは、自分の治療の話は控えていましたし、逆に、友人の妊娠のニュースをなかなか話してもらえないということもあり、気を遣われたかもしれないと寂しく感じたこともありました。
🐤うーん、お互いにもどかしい状況、ありますよね。
治療中は、お仕事はしていましたか?
M:不妊治療に専念しようと思い、2014年の専門医の初診前に今までしていた仕事を辞めていました。
体調が悪い時は本当に1週間くらい寝込む感じだったので、仕事を持ちながらの治療は厳しかったかなと感じています。
起きれないし、からだがむくんだりで…。
落ちるところまで落ちて、また外にちょっと出たり、同じような境遇の友人に話してみたりと何とか過ごしていました。
🐤そうですよね。不妊治療の辛さは、”からだ”にも”こころ”にも出てきますよね。
葛藤も様々。
M:はい、私の場合はお金以上に、不妊治療内容にもともと抵抗を感じていたということがありました。
とても不自然なことをしているのでは?とか、万一ハンディキャップがあった場合は、自分のせいなのではないか?とか考えてしまって。
もともと子どもがすごくほしいと強く思っていたわけではなかったのに、一旦治療を始めると容易に諦められないというか、やめ時も分からなくて。
からだとこころを壊して治療をしてまで、子どもを持つことに疑問を感じることもありました。
🐤うんうん、分かります。不妊治療のことを相談する人はいましたか?
M:幸いにも同じ時期に不妊で悩む友人がいたり、すごく仲良くしていた友人が実は不妊治療をして授かった経験があると判明したり。
ネガティブモードに入ったときの鬱々とした気持ちは、夫よりも友人に話す事が多かったです。
変に気を遣わず、話を聞いてくれるだけでも心が楽になることがありました。
そうやって不妊治療に理解がある人が近くにいたことは、ラッキーだったなと思います。
🐤不妊治療の話題をしないと分からないから、自分から話してみると意外に経験者だったりしますよね。旦那さんとの関わりはどうでしたか?
M:「私、ここまでして子どもがほしいのか分からなくなってきたな〜」
「本当に子どもがほしい?」
とか夫に聞いていましたね。
そんな時夫は、努めて私の話を聞いてくれて、本人の気持ちとしては「すべての可能性があるうちは、治療をしてみて良いのでは?」という感じで控えめに主張してくれていました。
子どもがほしい理由として、「君と一緒に子育てをしてみたいから」
と言ってくれたのは、とても嬉しかったです。
🐤いや〜なんて愛のある言葉…(涙)
治療中、妻に何て声をかけたら良いのか悩む男性も多いかと思いますが、とても参考になりますね。
まわりの人との関わりはどうでしたか?
M:実親からは、いきなり「子どもはいらないの?」と切り出されるという事件(笑)があったり、プレッシャーがありました。
体外受精に進む準備をしている時期に、不妊治療をしていることを伝えると、それからは子どものことは聞かずに見守ってくれたので伝えて良かったです。
友人は、歳を重ねるごとに、結婚して子どもを生む人も多く、その中でも「子どもの有無関係なく私と付き合ってくれる人」と過ごすことが多かったです。
私の場合は、関係が近い人には気を遣われることよりも、お互い悩みを話せて受け止めあえるような関係がありがたかったかな。
🐤不妊治療中に知っておきたかったことはありますか?
M:最初から、子どもは授かりものと知っておきたかったですね。
不妊治療でも、体外受精でも顕微受精でも、神様が授けてくれることにかわりはなくて、私の行為や選択にそんなに決定的な力はないということがわかっていなかったように思います。
だから、治療を始めるとき、ステップアップするとき、治療がうまくいかなかったとき、不必要に自分を追い込んだような気がします。
やることをやってもだめなときはあるし、”全部自分の責任で頑張らなくてもいい”って今なら思えるんですけどね。
🐤とても勇気の出るメッセージです。あの頃の自分に伝えたいことはありますか?
M:子どもがいるから幸せ、いないから不幸せではないこと。
子どもがいないから〇〇出来ないとか、将来の道筋が立たないとか、そんなことはなくて。
私は、2回の流産を経て、諦めの境地に入った頃にやっと、
「子どもができても、できなくても私は幸せに過ごす!」と考えることができました。
その頃、多くの友人は、子どもがいない私にも変わらず付き合ってくれていたし、関係が近い友人の子どもの成長を見て幸せだったんです。
「子どもができなくても楽しく過ごすんだ!」
そう思うことができましたね。
🐤わ〜不妊治療中にそう思えるなんて素晴らしい心持ち。
いつ終わるのか分からない不妊治療ですが、本当によく頑張りましたよね!
M:そうですね、自分の中では大阪での採卵・移植を「最後」と考えていました。
もしそれで成功しなかったら、夫の帯同先シンガポールで働こうと思っていて。
最後の移植が12月で、ちょうど陽性が出た判定日後すぐに実家でお正月を迎えることになったんです。
過去のことがあったし、まだ安定期ではなく両親に伝えるか迷いましたが、「”いま”お腹の中にいるこの子の存在を、今お祝いしてもらおう!」と思い、伝えました。
まだ不安がいっぱいでしたが、実際にお祝いをしてもらえて本当に良かったなぁと振り返ります。
まるさん、本日はお話いただきありがとうございました!
印象的だったのは、まるさんの旦那さんとの関わり方。
不妊治療はどうしても検査、治療ともに女性がすることが多くて、からだもこころも平常心を保つことが本当に難しいと思います。
妻が治療に励む中、どうやって妻を和らげてあげられるのか考える旦那さんは多いのではないでしょうか。
私も、実際に不妊治療をする前は「子どもがほしいね!」と夫が言ってくれると嬉しかったことを思い出しました。
それなのに、時間の経過とともに、それを叶えられないことがだんだんとストレスになってきて、夫との子どもを望んでいるのに夫とぶつかり合ってしまうこと、あったなぁと思い返していました。
そして、特に頭を悩ませがちな不妊治療中の周囲との関わり方についても、考えさせられました。
「子供どもの有無関係なく私は私で、幸せに過ごす」
まるさんのように、治療中にそんな風に考えられたら、肩の荷が下がってこころが楽になることもありそうですね。
まるさんの経験したロングジャーニーは、現在治療中の方に勇気を与えてくれることと思います。
現在治療中の方へ。
「きっと大丈夫。」前を向けるよう心からの願いを込めて♡
♡ひよこ🐤があなたに愛を伝えにやってきますように♡
まいか